礼文島は、面積81.25 km²の島である。1同島は気温の条件では高山帯に当たらないが、海抜の低い西海岸に高山植物の群落がある。冬の強風と凍結による不安定な表土が、この群落を支えている。群落は2022年に、国の天然記念物「礼文島桃岩一帯の高山植物群落」に指定された。2レブンアツモリソウは、世界で礼文島にだけ分布するとされる。3島北部にある船泊遺跡では、縄文時代後期の出土品1,616点が国の重要文化財となっている。出土品には本州以南の貝や糸魚川産の硬玉が含まれており、日本海を介した遠方との交易がうかがえる。4
礼文島(レブントウ)

基本情報
| 名称 |
|
|---|---|
| 場所 | 北海道 礼文町 |
| 人口 | 2,179人(2025年)6 |
| 面積 | 81.25 km²7 |
| 座標 | 北緯 45.35748、東経 141.03141 |
| アクセス | 定期航路あり8 |
位置
国土地理院国土地理院 / 海岸線:VMAP0
自然・地理
- 礼文島の面積は81.25 km²である。1最高点は、島の中央にある礼文岳(標高490 m)である。南部と中部は200〜300 mの山地で、東側はなだらかに下がり、西側は断崖となって海に面する。北部の久種湖の周りは、100 m前後の低い丘陵になっている。9
- 船乗りのための航路案内書である水路誌の1936年版は、礼文島を次のように記す。礼文島は、長さ約22 km、最大幅約6.5 kmの「狭長」な島である。島の中央から少し西に寄った礼文山が島内の最高峰で、南端の尺忍山(高さ223 m)が「著しい峰」である。東岸は砂礫が多いが、西岸は「削れたような断崖峻壁」である。島の周りでは岸から約900 m以上離れた所に危険はなく、北端だけが「険悪地」である。10
- 礼文島の基盤は、白亜紀の礼文層群である。礼文層群は、火山灰や火山礫を多く含む厚さ約2,500 mの堆積層からなり、化石から下部白亜紀とされる。南部と北部では新第三紀の地層がこれを覆い、閃緑岩質玢岩(ひんがん)・安山岩・玄武岩などの火成岩が貫いている。11
- 礼文島の海岸段丘は、高位(40〜60 m)と低位(10〜20 m)の2段である。段丘は東海岸に発達し、西海岸には見られない。12低位の段丘は約12.5万年前に、海面の低下と島の隆起によって形成されたとされる。13
- 礼文島の西海岸には、強風を受ける急な海食崖が続く。海岸沿いの低い場所には、高山植物の群落がある。北海道の山岳の植物が北方系を主体とするのに対し、礼文島では、本州の高山植物と同じく南方系の東アジア要素が多い。分布域が遠く離れて飛び地のようになった隔離分布種や、固有種・固有変種が多く、最終氷期より前に渡来した植物が残っていると考えられている。2林野庁は、西海岸を中心に風で雪が積もらない場所ができるため、標高0 mから高山植物が約300種自生すると説明している。14
- レブンアツモリソウは、北海道礼文島にだけ分布するとされるラン科の植物である。1994年に国内希少野生動植物種に指定され、1996年に保護増殖事業計画が策定された。群生地14.1 haは、北海道の天然記念物に指定されている。32025年の環境省レッドリストでは、準絶滅危惧に改められた。生育個体数は、約3,000を大きく超える見込みとされる。15
- 礼文島北部のササ原は、主に明治期の薪の伐り出しと度重なる山火事によって「はげ山」になった跡とされる。14
- 礼文島は、利尻礼文サロベツ国立公園に含まれる。16
- 政府が保全・管理する国境離島473島の一覧には、礼文島の周りの小島として、ベンサシ大島、トド打ちの島、ゴロタ離れ島、三ツ岩、種島、種北小島が載っている。一覧に示された概略位置は、ベンサシ大島が「礼文島南岸カランナイ岬北」、トド打ちの島が「礼文島西岸召国ノ岬南方」、ゴロタ離れ島が「礼文島北西部ゴロタ岬西方」、三ツ岩が「礼文島北方(海驢島南西方」、種島が「礼文島北方(海驢島北方)」、種北小島が「礼文島北方(種島北方)」である。17政府はこのうち、トド打ちの島とゴロタ離れ島については2011年に、地元の呼び名にもとづいて地図・海図に載せる名前を決めた。ほかの4島の名前は、2012年に決めた。18
- 礼文島北端のスコトン岬の沖には、海驢島(トド島)がある。1936年の水路誌は、島上の家屋には漁期中のみ仮住者がいるとしている。19
島のいろいろ
- 船泊遺跡は、礼文島北部の砂丘列の西端にある。1998年の発掘では、竪穴住居跡8軒、貝を加工した平たい玉である貝平玉の製作作業場跡6か所、墓坑24基などが調査された。装身具には本州南半以南に生息する貝が使われたものがあり、糸魚川産の硬玉やアスファルトの付いた骨角器とあわせて、遠方との交易を示すとされる。4船泊湾西側の浜中2遺跡では、アイヌ文化期・オホーツク文化期・続縄文の層が確認され、北海道大学による発掘が続いている。20
- 柳谷家は、江戸時代末期に三厩から礼文へ渡った。同家に残る1877年から1954年までの間の資料は町指定有形文化財で、近代のニシン漁場経営の実態を示すとされる。21
- 四ヶ散米舞行列は、松前藩の神楽舞曲を起源とし、1935年から1944年の間に礼文へ伝わったとされる。嚴島神社例大祭の露払いとして続いており、町指定無形民俗文化財となっている。22
- 人口は、国勢調査によれば2020年が2,509人、2025年が速報値で2,179人である。23礼文町は、1955年の9,874人を人口のピークとしている。ただし、これが国勢調査の値かどうかは資料に書かれていない。24
伝承
- 船泊の見内神社には、次の伝承がある。アイヌは、岬にトドマツの枝を捧げて岩を見ないようにしていた。和人は、この岬を「見内神威」と名付けた。明治期に和人が積まれていた枝を燃やしたところ、周辺で不幸が続き、岩を御神体として神社を建てたという。25
- 宮坂光次「見ないカムイ」は、1924年に『人類學雜誌』に載った報告である。宮坂は前年の夏に島を訪れ、古老から話を聞いた。報告は、場所を香深港の北約3.9 kmの東海岸に突き出た「カフカイ」という岬の先端とし、その話を次のように伝える。26,27アイヌはこの岩を恐れて見ないふりをして通ったので、和人が「見ないカムイ」と名付けた。アイヌはニシンやトドが多くとれるとトドマツの枝を捧げ、枯れ枝が森のようになっていた。1881、1882年ごろのニシンの不漁の年に、香深の山本久兵衛門の支配人が怒って枯れ枝に火をつけた。すると高さ約2 mの岩が現れ、これが神体だった。その後、村に産死や幼児の死が増えた。アイヌは安産の神の罰だと言ったので、和人が社を建てて敬うようになった。26報告は、安産の神とされる由来について、天塩国の「カフカ」という毒婦がトドの木の檻に入れられて海に流され、この岩の下に流れ着いて安産したという伝説もある、とする。27宮坂は、雨のため社を見られず、岩は社で囲まれて見えなくなっていると聞いた、と書いている。27神社の場所を、SRC-0241 は船泊とし、宮坂は香深の北のカフカイとしている。
- 1940年の『北海道の口碑伝説』は、香深村の項に「見内神威」を立てている。同書は、場所を香深村字カフカイ部落の渚とし、木造柾葺で約56 m²の御堂があるとする。伝説の筋は宮坂の報告と異なり、宗谷アイヌにかかわる悲恋の話である。征途に上る夫を見送ったアイヌの女性であるメノコが、身ごもった身で岩屋にこもり、遠ざかる船影とともに岩と化したという。同書によれば、その岩を祀る洞は、安産とお乳の神として道外まで知られている。昔はこの岩を見ると不幸があるといわれ、通る者は目をそらしたので、「見ないで通る」が見内神威の起こりだと伝える。28
- 宮坂は同じ報告で、次のことも記している。礼文島の西北岸にあるテフネフ(鉄府)村の西に突き出たイナウサキの先端の海中には、小山のような巨巌があり、小さな祠が祭られている。アイヌの時代には、ここにもトドマツの枝(イナウ)を捧げた。その北には、カムイコタンの絶壁がある。27,29
アクセス
- ハートランドフェリーが、稚内港―礼文島の香深間と、利尻島の鴛泊―香深間の定期航路を通年運航している。6月1日〜9月30日には、利尻島の沓形―香深間の便も運航される。時刻は時期によって変わる。8
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 縄文時代後期前葉〜中葉 | 船泊遺跡に集落・墓・貝平玉の作業場が営まれる4 |
| 縄文時代中期後半 | 上泊3遺跡の住居跡(島内で年代的に最も古い住居跡の一括資料とされる)30 |
| 1808(文化5) | 宗谷場所請負人の藤野喜兵衛が市杵島姫命を迎えて弁天社を建てたと伝えられる(現・嚴島神社)31 |
| 江戸末期 | 柳谷家が津軽の三厩から礼文へ渡る21 |
| 1948(昭和23)-05-09 | 金環日食を日米の天文学者が観測32 |
| 1956(昭和31)-09-20 | 香深村と船泊村が合併し礼文村となる33 |
| 1965-07-10 | 国定公園に指定16 |
| 1974-09-20 | 利尻礼文サロベツ国立公園に指定16 |
| 1994(平成6) | レブンアツモリソウが国内希少野生動植物種に指定される3 |
| 1998(平成10) | 船泊遺跡を発掘4 |
| 2013(平成25)-06-19 | 北海道船泊遺跡出土品が重要文化財に指定4 |
| 2022(令和4)-03-15 | 礼文島桃岩一帯の高山植物群落が天然記念物に指定2 |
注
- 1 国土地理院『令和8年全国都道府県市区町村別面積調(4月1日時点)付3 島面積』、2026年、82頁。
- 2 文化庁『文化遺産オンライン「礼文島桃岩一帯の高山植物群落」』、2022年。
- 3 環境省『レブンアツモリソウ(保護増殖事業の対象種)』。
- 4 文化庁『文化遺産オンライン「北海道船泊遺跡出土品」』、2013年。
- 5 国土地理院『電子国土基本図(地名情報)自然地名(国土地理院ベクトルタイル提供実験 experimental_nnfpt)』、2017年。
- 6 北海道 総合政策部計画局統計課『令和7年国勢調査速報 北海道の人口・世帯数(要計表に基づく集計)』、2026年。
- 7 国土地理院『令和8年全国都道府県市区町村別面積調(4月1日時点)付3 島面積』、2026年(2026年の値)。
- 8 ハートランドフェリー株式会社/オクシリアイランドフェリー『ハートランドフェリー 時刻表(稚内~利尻島・稚内~礼文島・利尻島~礼文島・江差~奥尻島)』、2026年。
- 9 長尾捨一・秋葉力・大森保『5万分の1地質図幅説明書「礼文島」(旭川-第2号・第6号)』、1963年、3–4頁。
- 10 水路部『北海道本島沿岸水路誌(書誌第3號A)』、1936年、129頁。
- 11 長尾捨一・秋葉力・大森保『5万分の1地質図幅説明書「礼文島」(旭川-第2号・第6号)』、1963年、5–11頁、23–29頁。
- 12 長尾捨一・秋葉力・大森保『5万分の1地質図幅説明書「礼文島」(旭川-第2号・第6号)』、1963年、22頁。
- 13 日本地質学会北海道支部(北海道地質百選検討グループ)「北海道地質百選 0617「礼文島北部の海成段丘」」、サイト開設は2008年。
- 14 林野庁北海道森林管理局 宗谷森林管理署『礼文島森林面積割合(礼文森林事務所の案内)』。
- 15 環境省北海道地方環境事務所『レブンアツモリソウの概要』、2025年。
- 16 環境省『利尻礼文サロベツ国立公園 概要・計画書(公園区域の基礎情報)』。
- 17 内閣府 総合海洋政策推進事務局『我が国が現に保全・管理を行っている国境離島473島の一覧(令和6年8月9日時点)』、2024年。
- 18 内閣府 総合海洋政策推進事務局(総合海洋政策本部)『排他的経済水域(EEZ)外縁を根拠付ける離島の地図・海図に記載する名称の決定』、2012年。
- 19 水路部『北海道本島沿岸水路誌(書誌第3號A)』、1936年、131頁。
- 20 加藤博文 編「2024年度北海道礼文町浜中2遺跡発掘概要報告書」、2025年。
- 21 北海道開発局 稚内開発建設部『宗谷遺産アーカイブズ「イリナカ柳谷家関係資料」』。
- 22 北海道開発局 稚内開発建設部『宗谷遺産アーカイブズ「四ヶ散米舞行列」』。
- 23 北海道 総合政策部計画局統計課『令和7年国勢調査速報 北海道の人口・世帯数(要計表に基づく集計)』、2026年、9頁。
- 24 礼文町『第3期礼文町まち・ひと・しごと創生推進計画』。
- 25 北海道開発局 稚内開発建設部『宗谷遺産アーカイブズ「見内神社」』。
- 26 宮坂光次「見ないカムイ(『人類學雜誌』39巻7-9号 pp.274–279)」、1924年、275頁。
- 27 宮坂光次「見ないカムイ(『人類學雜誌』39巻7-9号 pp.274–279)」、1924年、276頁。
- 28 北海道庁 編『北海道の口碑伝説』、1940年、デジタル版117コマ。
- 29 宮坂光次「見ないカムイ(『人類學雜誌』39巻7-9号 pp.274–279)」、1924年、277頁。
- 30 北海道開発局 稚内開発建設部『宗谷遺産アーカイブズ「上泊3遺跡出土遺物」』。
- 31 北海道開発局 稚内開発建設部『宗谷遺産アーカイブズ「嚴島神社」(礼文町)』。
- 32 北海道開発局 稚内開発建設部『宗谷遺産アーカイブズ「旧日食観測記念碑」』。
- 33 北海道 総務部『道内における昭和29年以降の合併の状況』。
参考文献
- 国土地理院『令和8年全国都道府県市区町村別面積調(4月1日時点)付3 島面積』、2026年。
- 文化庁『文化遺産オンライン「礼文島桃岩一帯の高山植物群落」』、2022年。
- 環境省『レブンアツモリソウ(保護増殖事業の対象種)』。
- 文化庁『文化遺産オンライン「北海道船泊遺跡出土品」』、2013年。
- 国土地理院『電子国土基本図(地名情報)自然地名(国土地理院ベクトルタイル提供実験 experimental_nnfpt)』、2017年。
- 北海道 総合政策部計画局統計課『令和7年国勢調査速報 北海道の人口・世帯数(要計表に基づく集計)』北海道、2026年。
- ハートランドフェリー株式会社/オクシリアイランドフェリー『ハートランドフェリー 時刻表(稚内~利尻島・稚内~礼文島・利尻島~礼文島・江差~奥尻島)』ハートランドフェリー株式会社、2026年。
- 長尾捨一・秋葉力・大森保『5万分の1地質図幅説明書「礼文島」(旭川-第2号・第6号)』北海道開発庁、1963年。
- 水路部『北海道本島沿岸水路誌(書誌第3號A)』、1936年。
- 日本地質学会北海道支部(北海道地質百選検討グループ)「北海道地質百選 0617「礼文島北部の海成段丘」」、サイト開設は2008年。
- 林野庁北海道森林管理局 宗谷森林管理署『礼文島森林面積割合(礼文森林事務所の案内)』林野庁。
- 環境省北海道地方環境事務所『レブンアツモリソウの概要』環境省、2025年。
- 環境省『利尻礼文サロベツ国立公園 概要・計画書(公園区域の基礎情報)』。
- 内閣府 総合海洋政策推進事務局『我が国が現に保全・管理を行っている国境離島473島の一覧(令和6年8月9日時点)』内閣府、2024年。
- 内閣府 総合海洋政策推進事務局(総合海洋政策本部)『排他的経済水域(EEZ)外縁を根拠付ける離島の地図・海図に記載する名称の決定』内閣府、2012年。
- 加藤博文 編「2024年度北海道礼文町浜中2遺跡発掘概要報告書」北海道大学アイヌ・先住民研究センター、2025年。
- 北海道開発局 稚内開発建設部『宗谷遺産アーカイブズ「イリナカ柳谷家関係資料」』北海道開発局。
- 北海道開発局 稚内開発建設部『宗谷遺産アーカイブズ「四ヶ散米舞行列」』北海道開発局。
- 礼文町『第3期礼文町まち・ひと・しごと創生推進計画』内閣府地方創生推進事務局(公開元)。
- 北海道開発局 稚内開発建設部『宗谷遺産アーカイブズ「見内神社」』北海道開発局。
- 宮坂光次「見ないカムイ(『人類學雜誌』39巻7-9号 pp.274–279)」日本人類学会、1924年。
- 北海道庁 編『北海道の口碑伝説』日本教育出版社、1940年。
- 北海道開発局 稚内開発建設部『宗谷遺産アーカイブズ「上泊3遺跡出土遺物」』北海道開発局。
- 北海道開発局 稚内開発建設部『宗谷遺産アーカイブズ「嚴島神社」(礼文町)』北海道開発局。
- 北海道開発局 稚内開発建設部『宗谷遺産アーカイブズ「旧日食観測記念碑」』北海道開発局。
- 北海道 総務部『道内における昭和29年以降の合併の状況』北海道。
- 国土地理院『地理院タイル「全国最新写真(シームレス)」(seamlessphoto)』。