利尻島は、稚内の西約30 kmの日本海に浮かぶ島である。1面積は182.08 km²で、北海道本島と北方領土の島を除くと北海道で最も大きく、利尻町と利尻富士町の2町に分かれている。2島そのものが一つの火山で、約20万年前に活動を始め、数千年前の噴火を最後に現在は活動の兆候が見られない。一つの火山の誕生から活動の終息までが、一つの島の中に刻まれている。1,3島には人びとの暮らしの跡も残り、利尻町沓形の亦稚(またわっか)貝塚では、1901年の発見以来、調査が続けられてきた。出土品はオホーツク文化期のものを中心とし、その一部は北海道指定文化財となっている。4
利尻島(リシリトウ)

基本情報
| 名称 | |
|---|---|
| 場所 | 北海道 利尻町・利尻富士町 |
| 人口 | 3,908人(2025年)9 |
| 面積 | 182.08 km²10 |
| 最高標高 | 1721 m(利尻山)11 |
| 座標 | 北緯 45.16216、東経 141.22797 |
| アクセス | 定期航路あり12 |
位置
国土地理院国土地理院 / 海岸線:VMAP0
自然・地理
- 利尻山(標高1,721 m)は、稚内の西約30 km、日本海に浮かぶ利尻島の中央にそびえる。1,13利尻島は約18 km×16 kmの大きさで、その大部分を利尻山が占めている。火山噴出物は海面下約80 mまで達する。1
- 利尻山をつくる火山は「利尻火山」と呼ばれ、約20万年前に活動を始めた。噴出物の性質や噴出率を変えながら成長し、約4万年前までに火山体の主要部が形成された。気象庁は、この時期までの活動を「初期・最盛期」としている。その後も複数の火口で活動が続いたが、噴出量は全体の約1割にとどまる。1末期には、少なくとも14か所の噴出口で山腹噴火が起こり、約2万8千年前には野塚溶岩流と流紋岩質の軽石が噴出した。14北海道北部にまで火山灰を降らせる規模の噴火は、約8000年前以降起きていない。1噴出した岩石のSiO₂含有量は49.1〜72.8重量%と幅広く、玄武岩から流紋岩まで含まれる。1,3
- 利尻火山の成り立ちを研究した石塚(1999)は、噴火様式、主な火口の移り変わり、岩石の性質、放射性カリウムを用いた年代測定をもとに、活動を初期・中期・後期の3期に分けた。また、噴出率と火成活動の温度変化を、一つの熱源が上昇し、やがて冷えていく過程として説明している。この熱源は「ダイアピル」と呼ばれ、周囲より軽く高温な岩石のかたまりが、浮力によって上昇するものとされる。3
- 最後の噴火は、利尻山の南麓で起きた。玄武岩質マグマの活動によって、水蒸気爆発で生じた浅い火口「マール」や、黒く穴の多い噴出物が積もってできた小規模な「スコリア丘」の群れが形成され、溶岩も流れ出した。最も新しいマールは数千年前に形成され、約4000年前にできた可能性がある。スコリア丘群は、土壌の厚さなどから2000〜8000年前以前に形成されたと推定されている。現在は噴気を含む火山活動の兆候は見られず、有史以降の活動記録もない。15気象庁は利尻山を活火山として扱い、『日本活火山総覧』に掲載している。16一方、石塚は、数千年にわたって活動が止まっていることから、活火山としての活動はほぼ終わったと見ている。3
- 水路誌は船乗りのための航路案内書で、1936年版は利尻島を直径約19 kmの円形をした「高島」と記している。中央にそびえる利尻山は円錐形で、遠望すると富士山に似ることから「北見富士」とも呼ばれる。山頂は常に雲や霧に覆われ、山全体が見えることはまれである。ただし、夏に北東風が吹くときや強い雨の後には、約150 km離れた場所からでも全容が見えることがあり、南から来る船にとって宗谷海峡西口を知る「好目標」とされた。島の周囲には木々の茂る「台形の低地」が広がり、海岸は礫浜に囲まれている。北・西・南側には岸から約900 m以内に「岩礁浅水地」がある一方、東岸はおおむね岸近くから急に深くなる「急深」である。13
- 利尻島は、利尻礼文サロベツ国立公園に含まれる。1965年7月10日に国定公園、1974年9月20日に国立公園に指定された。2021年10月29日の第2回点検では、2か所、計3,356 haが海域公園地区に指定された。17
島のいろいろ
- 島名は、アイヌ語で「高い島」を意味するとされる「リイシリ」に由来する。6古地図では、正保日本図に「リイシリ ヱソ」、18世紀後半の作と推定される蝦夷松前輿地図に「リウジリ」、松浦武四郎の山川地理取調図に「リイシリ 高嶌」と記されている。7
- 利尻町沓形の亦稚貝塚は、1901年に海獣の牙で作られた人形が見つかったことをきっかけに、繰り返し調査されてきた遺跡である。出土品はオホーツク文化期のものを中心に、縄文時代後期から擦文時代に及ぶ。1977年の調査では、クマやクジラなどを彫ったトナカイ角製品と、オホーツク式土器2点が出土した。これらは1979年3月29日に北海道指定文化財となり、一部は利尻町立博物館で常設展示されている。4北海道大学も島内で集められた先史時代の考古資料を所蔵しており、その目録には本泊・ペシ岬・大磯などの地区ごとに図版が収められている。18
- 江戸時代、利尻は「リイシリ場所」と呼ばれ、交易権を請け負う場所請負人によって経営されていた。拠点となる運上屋は現在の本泊湾奥に置かれ、周囲には、場所で働く和人の住居や神社、アイヌの人びとの住居や小屋が点在していた。国立史料館にある「リイシリ場所絵図」には、運上屋1軒と蔵8軒などが描かれている。1854〜1860年の安政期には、利尻のアイヌ人口は約40人で推移した。労働力を補うため、ソウヤ・モンベツ・シャリから200〜300人が出稼ぎに来ていたとされる。19
- 島は利尻町と利尻富士町の2町に分かれ、面積は利尻町が76.49 km²、利尻富士町が105.59 km²である。2利尻町は沓形に役場、仙法志に支所を置く。利尻富士町は鴛泊に役場、鬼脇に支所を置く。20利尻町は漁業と観光業、利尻富士町は水産業と観光業を、それぞれ基幹産業として位置づけている。21,22両町の人口は1955年にピークを迎え、利尻町10,025人、利尻富士町11,234人を数えた。その後は減少が続いている。23,24利尻町の計画書は、その背景に漁業の衰退と、高度経済成長期の大都市圏への人口流出を挙げている。23
アクセス
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 約20万年前 | 利尻火山が活動を開始1 |
| 約4万年前 | 主要な火山体が形成される1 |
| 数千年前 | 南山麓で最後の噴火(マール・スコリア丘群)15 |
| 1670(寛文10) | リイシリに、アイヌと和人(松前藩)が交易する商場(あきないば)が開かれていたといわれる(『津軽一統志』に記載)19 |
| 1696(元禄9) | 朝鮮王朝の下級官吏、李志恒ら8人が利尻山に漂着。江戸へ護送され、対馬藩によって釜山に送還された25 |
| 1704(宝永元) | 禅僧空念が利尻島に渡り、弁財天に「普門品一巻」を納経した25 |
| 1765(明和2) | 近江商人の岡田弥三右衛門が場所請負人となる19 |
| 1803・1805 | 天然痘の流行で、利尻・礼文あわせて220人が死亡19 |
| 1806(文化3) | 利尻のアイヌは37人(9戸)と記録される(『西蝦夷地日記』)19 |
| 1823(文政6) | 近江商人の藤野四郎兵衛(喜兵衛)が場所請負人となり、明治2年まで続く19 |
| 1869(明治2) | 蝦夷地が北海道と改められ、場所請負制が廃止された。利尻島は北見国利尻郡となり、水戸藩領となる25 |
| 1901(明治34) | 亦稚貝塚で海獣牙製の人形が発見される4 |
| 1955 | 利尻町(10,025人)・利尻富士町(11,234人)とも人口のピーク23,24 |
| 1965-07-10 | 国定公園に指定17 |
| 1974-09-20 | 利尻礼文サロベツ国立公園に指定17 |
| 1977 | 亦稚貝塚の調査でトナカイ角製品とオホーツク式土器が出土4 |
| 1979-03-29 | 亦稚貝塚出土品が北海道指定文化財に4 |
| 2021-10-29 | 国立公園の第2回点検、海域公園地区を指定17 |
注
- 1 気象庁『日本活火山総覧(第4版)11 利尻山』、2013年、169頁。
- 2 国土地理院『令和8年全国都道府県市区町村別面積調(4月1日時点)付3 島面積』、2026年、82頁。
- 3 石塚吉浩「北海道北部, 利尻火山の形成史」、1999年。
- 4 北海道開発局 稚内開発建設部『宗谷遺産アーカイブ 利④「亦稚貝塚出土の遺物」』。
- 5 国土地理院『電子国土基本図(地名情報)自然地名(国土地理院ベクトルタイル提供実験 experimental_nnfpt)』、2017年。
- 6 利尻富士町教育委員会(問い合わせ先として記載)『利尻島郷土資料館解説シート「利尻のアイヌ語地名」』。
- 7 平凡社『日本歴史地名大系 北海道の地名「利尻島」項』。
- 8 今井八九郎『礼文島[利尻島]測量製図・「レブンシリ」「リイシリ」「一里二寸一分六厘縮図」(今井八九郎北方測量関係資料)』、江戸時代(19世紀)。
- 9 総務省統計局『令和7年国勢調査(市区町村別人口)』、2025年。
- 10 国土地理院『令和8年全国都道府県市区町村別面積調(4月1日時点)付3 島面積』、2026年(2026年の値)。
- 11 気象庁『日本活火山総覧(第4版)11 利尻山』、2013年(2013年の値)。
- 12 ハートランドフェリー株式会社/オクシリアイランドフェリー『ハートランドフェリー 時刻表(稚内~利尻島・稚内~礼文島・利尻島~礼文島・江差~奥尻島)』、2026年。
- 13 水路部『北海道本島沿岸水路誌(書誌第3號A)』、1936年、132頁。
- 14 石塚吉浩(産業技術総合研究所)『利尻火山の噴火史(石塚吉浩の研究フィールド)』、2023年。
- 15 気象庁『日本活火山総覧(第4版)11 利尻山』、2013年、171頁。
- 16 気象庁『日本活火山総覧(第4版)11 利尻山』、2013年。
- 17 環境省『利尻礼文サロベツ国立公園 概要・計画書(公園区域の基礎情報)』。
- 18 中沢祐一・富塚龍 編、中沢祐一 執筆『北海道大学所蔵 利尻島収集考古資料』、2017年。
- 19 利尻富士町教育委員会(問い合わせ先として記載)『利尻島郷土資料館解説シート「利尻の近世史Ⅰ リイシリ場所とアイヌ」』。
- 20 気象庁『日本活火山総覧(第4版)11 利尻山』、2013年、173頁。
- 21 利尻町『地域再生計画「利尻町まち・ひと・しごと創生推進計画」』。
- 22 利尻富士町『地域再生計画「利尻富士町まち・ひと・しごと創生推進計画」』。
- 23 利尻町『地域再生計画「利尻町まち・ひと・しごと創生推進計画」』、1頁。
- 24 利尻富士町『地域再生計画「利尻富士町まち・ひと・しごと創生推進計画」』、1頁。
- 25 利尻町(発行者の記載なし。掲載サイト rishiri-town.jp による)『利尻町のあゆみ(年表)』。
参考文献
- 気象庁『日本活火山総覧(第4版)11 利尻山』、2013年。
- 国土地理院『令和8年全国都道府県市区町村別面積調(4月1日時点)付3 島面積』、2026年。
- 石塚吉浩「北海道北部, 利尻火山の形成史」日本火山学会、1999年。
- 北海道開発局 稚内開発建設部『宗谷遺産アーカイブ 利④「亦稚貝塚出土の遺物」』北海道開発局。
- 国土地理院『電子国土基本図(地名情報)自然地名(国土地理院ベクトルタイル提供実験 experimental_nnfpt)』、2017年。
- 利尻富士町教育委員会(問い合わせ先として記載)『利尻島郷土資料館解説シート「利尻のアイヌ語地名」』利尻富士町。
- 平凡社『日本歴史地名大系 北海道の地名「利尻島」項』。
- 今井八九郎『礼文島[利尻島]測量製図・「レブンシリ」「リイシリ」「一里二寸一分六厘縮図」(今井八九郎北方測量関係資料)』東京国立博物館(所蔵)、江戸時代(19世紀)。
- 総務省統計局『令和7年国勢調査(市区町村別人口)』、2025年。
- ハートランドフェリー株式会社/オクシリアイランドフェリー『ハートランドフェリー 時刻表(稚内~利尻島・稚内~礼文島・利尻島~礼文島・江差~奥尻島)』ハートランドフェリー株式会社、2026年。
- 水路部『北海道本島沿岸水路誌(書誌第3號A)』、1936年。
- 石塚吉浩(産業技術総合研究所)『利尻火山の噴火史(石塚吉浩の研究フィールド)』、2023年。
- 環境省『利尻礼文サロベツ国立公園 概要・計画書(公園区域の基礎情報)』。
- 中沢祐一・富塚龍 編、中沢祐一 執筆『北海道大学所蔵 利尻島収集考古資料』北海道大学、2017年。
- 利尻富士町教育委員会(問い合わせ先として記載)『利尻島郷土資料館解説シート「利尻の近世史Ⅰ リイシリ場所とアイヌ」』利尻富士町。
- 利尻町『地域再生計画「利尻町まち・ひと・しごと創生推進計画」』内閣府地方創生推進事務局(公開元)。
- 利尻富士町『地域再生計画「利尻富士町まち・ひと・しごと創生推進計画」』内閣府地方創生推進事務局(公開元)。
- 利尻町(発行者の記載なし。掲載サイト rishiri-town.jp による)『利尻町のあゆみ(年表)』利尻町。
- 総務省統計局『令和2年国勢調査 人口等基本集計(市区町村別人口)』、2020年。
- 国土地理院『地理院タイル「全国最新写真(シームレス)」(seamlessphoto)』。